「赤ちゃんはどこから来るのか」との問いに対する模範解答を検討する
幼少期の俺はアンパンマンが嫌いだった。
バイキンマンを悪とした上で、それを思い切りぶん殴ることが善であるかの如く、とにかく右ストレートを食らわす偽善者「アンパンマン」。
それをアニメ的演出によって、アンパンマン=カッコいいという印象を抱きがちだが、平和主義を掲げている日本国として、バイキンマンに対しては「誠に遺憾である」くらいで済ましておいた方がいい。
ただ、アンパンマンが好きという子供がいることも事実だ。
世の中には、同じものを見ているのに、まったく違う見方をする人や、違う判断をする人がいる。
自分の見ている色は確かに赤色で、他の人も見ている色も確かに赤色なのだろう。しかし、自分が認識している赤色と、他人が見ている赤色は、本当に同じように見えているのだろうか。
とか、いろいろ考えていた。別に病んでいるとかそういうわけではない。俺は何故生まれたのか。と毎日考えていたし、ママから「生き物は大体死ぬし、お前もそのうち死ぬ」みたいなことを聞いたりした。
「”大体”死ぬ」の「例外」が全然わからなかったが、そういうことを聞くと「揚げ足をとるな」と理不尽にキレられ、拳が飛んできた記憶がある。
「一番長生きしている人は誰なの?」とか聞いても、「きんさんぎんさんかな」くらいしか返事がない。
「では3番目に長生きしている人は”銅”さんというのか」「プラチナさんはいるのか」とか思っても、知る権利より生命の方が大事だったから、黙っていた。
そういうこともあってか、ママ以外の大人に色々聞きまくった。
そして人によって最も答えが違った問いは
「赤ちゃんはどこから来るの?」
だ。
回答その1
「コウノトリさんが運んでくるんだよ」
この回答は0点である。場所を聞いているのに輸送手段を答えている。
そもそも俺はコウノトリに運ぶよう依頼した記憶もないし、そもそもコウノトリと言って「あー!コウノトリか!」とはならない。
せいぜい「そうですか。」である。
良いように誤魔化せてると思ってるなら、勘違いも甚だしい。
しかも、コウノトリは日本に400羽しかいないらしい。日本で1日に生まれる子供は約2300人。1羽で5人もの赤ん坊を1日で運ぶ計算になるため、コウノトリの負担があまりに大きすぎる。
よって却下。
回答その2
「結婚すると子供ができる」
これも0点。
当時の俺は結婚するとは何かを事前に把握していた。結婚するとは「市役所に届け出る」ことだ。市役所に届け出ることによって子供ができるのだとしたら、市役所が物理的に赤ちゃんを製造していることになる。怖すぎる。
まず、結婚することで赤ちゃんが発生するのだとしたら、既に両親が離婚している俺は自然消滅しているはずである。ますます俺の生きる意味が分からなくなってくる。
よって、却下。
回答その3
「女の人を好きになると、その女の人の身体から赤ちゃんが出てくる」
これはもっともらしい回答で、納得した。
当時の俺は、同じ保育園に好きな女の子が数人いた。
さらに、いつも悪いことをしたら怒ってくれる保育士さんも好きだったし、園長のおばちゃんも好きだった。
そんな女の人たちからボコスカと子供が生まれてきたら、ちょっと男として責任が持てない。まだ親のスネをかじっているクソガキだし、もっとスネをかじらせて頂きたい。
しかも、そもそも子供である俺が子供を作るなんて、そんなマトリョーシカ的な出来事が起こってしまっては、この国は終わりである。
俺は好きな女の子や先生、園長のことが好きだったけど、子供が生まれてくるのが怖かった。だからあえて冷たくしたりもした。仲良しの女の子を泣かせたことだってある。でも、それがお互いのためだった。仕方なかったんだ。
それから数年後、保健体育で習ったときには衝撃だった。
子供がなぜできるのか、股間のタマは何のためにあるのか、近くにソーセージみたいな物体の小便以外の使い道まで、すべての点と点がつながった。脳汁がいっぱい出た。
でも、人間は何故生きるのか。これだけは分からない。大学に行けば分かると思って、哲学の先生に聞いたが「俺も知りたい」と言われた。詐欺師だった。
最近、知人が子供を量産しているので、これだけは言いたい。
子供には、変にごまかしたり、嘘をついたりせずに、すべてを洗いざらい教えた方がいい。
「子供はどこから来るの?」という問いがきたら、もうすべてを教えるべきだ。
別に、チ〇ポの存在意義から話してもいいし、タマの話からしてもいい。
飼っているカブトムシの交尾を見せつけてもいい。
国道沿いにあるホテルの「休憩」という概念から教えてやってもいい。
そこらへんは親の裁量に委任するが、子供の知る権利だけは、奪ってはならない。
よろしくおねがいします。
交通ルールを破りまくった者が辿り着く場所、上海。
世の中には、ロウリュをする際の意味不明なマナーもあれば、他人をぶん殴ってはいけないみたいな法律もある。
ただ、すべての決まりやマナーを忠実に守り一生を終える人は、誰一人としていないだろう。
「俺はルールを守る人間だ」と居酒屋で豪語していたオッサンだって、ハゲていた。
ハゲることの何が悪いって、事実上髪の毛をポイ捨てしているに近い。車からタバコをポイ捨てするヤンキーの方が罪深いことは言うまでもないが、道端で立ちションするオヤジも、信号が点滅した瞬間猛ダッシュする姉ちゃんも、包括的にみれば全員犯罪者だ。
しかし、実際に牢屋に入った者や前科がある者は少数派だ。所詮、法律のグレーゾーンを皆潜り抜けて善人ぶっているに過ぎない。
みんな、「これくらい良いだろう」とか「先っちょだけだから」と言いながら法の網を掻い潜り、グレーゾーンという風通しの良い場所から極悪人を批判しているのだ。
このグレーゾーンの中でも、特に俺が許せないものがある。
それは、黄色信号で突っ込むドライバーだ。
自動車学校では耳がタコが出来るほど聞く
「黄色は止まれ」の法律をいとも簡単に破る輩。
俺はといえば、交通ルールは憲法よりも重要な法として崇め奉り、絶対に守っている。
「止まれ」の場所は1ミクロンたりとも動かない。
もはや安全確認のために止まるのではなく、止まることが目的となっている。
他の車が来てるかどうかはあまり見ていない。
ただ、交通ルール自体は結構な頻度で守っている。
・・・まぁ、ちょっと破っているかもしれない。
交通違反で捕まったことがないかといえば、そうでもない。
遡ること数年前、当時好きだった女性とのデートの待ち合わせのため、昂る感情を抑え切れなかった俺は、家を出て最初の直線でアクセルを踏み込んだ。そしてスピード違反で捕まり、デート先が「ゆうちょ銀行」になったことがある。
また、遡ること2年ほど前、職場の女性社員からバレンタインの義理チョコを貰っただけで舞い上がり、その日のうちに追突事故を起こしたこともある。
チョコにクスリを盛られて眠ってしまったのかと一瞬思ったが、ただ車間が近かっただけだった。
被害者は幸いにも怪我がないということで安心したが、何故か追突した側の俺がむちうちになった。
まあ、男ってモンは、そうやって大きくなっていくものだ。
しかし、黄色になった瞬間アクセルを踏んで闘牛の如く突っ込んでくる中年ドライバーは、もはや故意犯であって情状酌量の余地はなく、極めて非人道的で悪質極まりないとして、俺は脳内法廷で極刑を下す。
故意的な信号無視は、断じて許すことは出来ない。自らの命をもって償うべきである。
これが何故極刑に値するかというと、日常的に黄色信号をぶっちぎる人と停まる人とでは、自ずから到着時間に差が出てくるからである。
意図的に黄色信号で加速した車のテールランプが遠く小さくなっていくほど、俺の感情は筆舌に尽くしがたいほどに荒ぶる。
あいつは俺より得をしている。俺はあいつより損をしている。
なんでだ。どうしてなんだ。
ぐっ・・・あぁ、アイツのテールランプがぁ・・・
あぁ、もうあんな遠くにアイツが・・・
んんんあっぁぁぁああぁあああああああああ!!!!!!!!!
ど゛う゛し゛て゛な゛ん゛だ゛よ゛お゛お゛ぉ゛お゛!゛!゛!゛ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛!゛
例えば5回黄色信号をぶっちぎると、5分くらい到着時間に差が生じる。
これが年間300日程度運転する人は年間1500分、つまり年25時間短縮される。
これを50年間続ければ、信号を忠実に守ってきた俺とは1250時間、すなわち3日半程の差が出る。時給換算すると12万5000円である。
これは到底許されるべきものではない。
俺の寿命より3日早い死を迎えるか、俺に12万5000円払うかにしてくれないと、現世で俺に救いはない。
仮に現世で救われなかったとしても、あの世での待遇は変わるべきである。
通常でさえ三途の川の幅は400km程度あるらしい。
東京からだと神戸くらいの距離だ。
もっとも、現世で3日半もの時間を他人から奪った罪は、濁流であっても400kmは短すぎる。
400×3.5=1400kmくらいの幅は必要。
東京からだと上海くらいの距離だ。
東京から上海までの「三途の東シナ海」は鑑真も失明したほどの対馬海流があるし、多分足もつかないだろう。
もちろん、船なんか用意しない。
逝去と同時に東京湾へ飛び込み、上海まで泳ぎなさい。
お前の極楽浄土は、上海のその先にある。
泳ぐ方法は問わない。
背泳ぎでもバタフライでも、自由にしてもらって構わない。
無事上海に着いたら、電話一本よこしてくれ。
俺は神戸にいる。
「ロウリュしてもいいですか」に対して「ダメです」と否定することは可能か
・・・「ロウリュ」・・・
それはサウナーなら誰もが知っている、サウナストーンに水をかけると湿度が一気に上昇し、体感温度がクソ熱くなる、アレだ。

ロウリュが出来るか否かはサウナーにとって極めて重要な要素であり、ロウリュが出来る温泉には、極限まで熱さを求めたアツい漢たちが集結する。(但し、ホモも紛れている)
サウナの中には神社にあるひしゃくみたいな物が備え付けてあり、自らサウナストーンに水をぶっかけるという仕組みだ。
ただ、何も言わずにサウナストーンに水をぶっかけるのは御法度らしく、「ロウリュしてもいいですか?」と聞くのがマナーらしい。
確かに、サウナに入った後、汗を流さずに水風呂にダイブする通称”汗流しカットマン”は、他人に不快な思いをさせ、極刑に値する愚行であるとは思う。
だが、ロウリュするのに、不快に思う人はいないだろう。
なぜなら、そこには、究極まで熱さを求めたアツき漢が集結するからだ。(もちろん、ホモも紛れている)
もっとも、その場にいる漢達は、サウナ内を究極まで熱くさせる義務を負っているともいえる。
しかし、ロウリュする前には「ロウリュしてもいいですか?」と聞くのがマナーらしい。神社のひしゃくに一番近い男がひしゃくを持ちながら、申し訳なさげに「・・・しても、いいですか・・・?」と聞くのがポイント。
そしてサウナ内にいる男は全員野太い声をハモらせながら「い゛い゛で゛す゛よ゛」と言う。今までにその請求を却下した者は見たことがない。
ちなみに俺はというと、あえて神社のひしゃくの近くに頓挫し、ロウリュしようと思えばいつでも出来る状態で、ロウリュをせずにサウナから出ていくということにハマっている。
入室後5分くらい経過すると、周囲の男達が(コイツ…そろそろ…ロウリュを…)みたいな目線でチラチラ見てくる。それでも神社のひしゃくは俺のテリトリーにある。お前らがロウリュの恩恵を受けられるか否かは、すべて俺にかかっている。
つまり、「ロウリュ・・・してください・・・」と周囲から崇め奉られるまで、俺は決してロウリュをしない。俺の方から「ロウリュしてもいいですか」と頭を下げるのは、絶対に御免だ。俺のプライドが許さない。どんなに俺がロウリュをしたくても、俺は自分のプライドのために決してロウリュをしない。
ロウリュをされたくて堪らない誰かが「ロウリュしてください」と頼んでくれれば、「そこまで言うなら、ロウリュしてやってもいいっすよ」と言い、待ってましたと言わんばかりにロウリュしたい。それが理想。
結局ロウリュをしないままサウナを出て、
「あぁ・・・ロウリュ・・・したかったな・・・」
と天を仰ぐ。
俺が先程閉めたドアから、ジュワジュワジュワジュワジュワジュワプシュプシュプシュジュワジュワワワワァという音が聞こえる。
俺も、じゅわじゅわわわわびゅるるるるぶりゅryるyりゅryるりゅってしたかったなぁ。いいなぁ。。。
電話の保留音に隠されたメッセージをご存じですか
俺は昔からまっすぐな男で、曲がったことが嫌いである。
嫌なことは嫌だというし、ブチギレたいときは否応なくブチギレるようにしている。
ムカつくことがあれば間髪入れずにブチギレるし、ムカつくやつがいれば速攻でぶん殴る。
企業に対する苦情だってそうだ。
商品やサービスに何らかの欠陥があった場合は、ここぞとばかりに激怒するようにしている。

「お前じゃ話にならん。上の者を呼べ!」と、電話口で老害顔負けの台詞を言ったのも一度や二度ではない。
それで、上の者が出るまでの間、保留音が流れるのだ。
その保留音はカーペンターズであることが多い。
曲名は大体決まっていて、名曲、『I need to be in love』だ。
AメロやBメロからではなく、突然サビから保留が始まる。
心地のいいメロディーに心が安らぐ。
自分は一体何に対して怒っているのか忘れてしまう。
I know I need to be in love~♪
I know I've wasted too much time~♪
I know I ask perfection of a quite imperfect world~♪
これを和訳すればこうだ。
私は愛情を必要としていて~♪
あまりに無駄な時間を過ごしてしまっていることも知っている~♪
まったく完璧でない世の中に完璧さを求めてしまっていることも~♪
そう、私は企業からの「ごめんね❤︎」という愛情を求めていることは知っているはずだし、
こうして苦情を入れることによって不完全な世界に完璧さを求めていることも知っているはずなんだ
そしてそれが何より無駄な時間だということも自分はよく知っているはず…
…俺はそっと受話器を置いた。
そう。
カスタマーセンターにおいて、電話の保留音をCarpentersにするのは、顧客を我に返らすという点において非常に有益である。
電話の保留音には、Carpentersのほかにも、Olivia Newton-Johnの『Have you never been mellow』がある。
これはAメロから心地よいメロディーが流れる。
~Aメロ~
There was a time when I was in a hurry as you are
I was like you~♬
There was a day when I just had to tell my point of view
I was like you~♬
Now I don't mean to make you frown
No,I just want you to slow down~♬
~サビ~
Have you never been mellow~♬
Have you never tried~♬
To find a comfort from inside you~♬
和訳をするとこうだ。
私は短気な時もあって
それはとてもあなたにそっくりだったわ~♬
自分の意見をぶちかましたくて仕方がないときもあった
本当にあなたにそっくりだったわ~♬
私はあなたを怒らせるつもりはないの
ただ、あなたに少し落ち着いてほしいだけなの~♬
あなたは今まで落ち着いたことがないの~?
あなたは自分の心の中に安らぎを見つけようとしたことはないの~?
…俺は涙を流しながら受話器をそっと置いた。
俺はまっすぐな人間だと思っていたが、それはただの短気で自分の意見をぶちかましたくて仕方がない性分であったことに気付いた。
落ち着いて議論をすることも知らず、自分の機嫌を自分で取ることもしない。
ただひたすらにブチギレる感情爆発ヒステリックマシーンと化していたんだ…
とはいっても、消費者保護の観点で考えると、不良品は不良品でしかない。
その損害が自分の中で重大なものなのであれば、自分の心の中に安らぎを見つけて我慢するなんて呑気なことは言ってられない。
我慢をすることは、辛い感情を二度と開かない心の部屋に閉じ込めることになる。
本当につらい時や頭にきたときは、遠慮はいらない。
思いっきりブチギレよう。
そういって、私は再度ダイヤルを回す。
あの保留音は、二度と聞きたくない。
もう、上の者に代わらなくていい。
「ちょっと電波悪くて電話切れたんすけど何なんすか?」といって、保留音に動揺して電話を切ったのにも関わらず、まるで電波のせいにしてそれにもブチギレるという常軌を逸した責任転嫁によって、一度停戦した戦争を、再度おっぱじめる。
是非、その気持ちを後押しするような保留音もあってもいい。
長渕剛なんかどうだろう
ぴぃぴぃぴぃ〜♪
ぴぃぴぃぴぃ〜♪
ぴぃぴぃぴぃ〜♪
ぴぃぴぃぴぃ〜♪
大嫌いだぜ
大嫌いだぜ
ろ゙ぐな゙も゙ん゙じ゙ゃ゙ね゙え゙え゙え゙え゙え゙
「うんち」と言う女とは付き合えない
かなり前の話、俺には彼女がいた。
それはそれは可愛い彼女。『ケツに挿れても痛くない』とはこの事を言うのかと言うくらい可愛かった。
そんな可愛い彼女が、映画を見に行こうと言った。
なんでも大泉洋が主演の映画を見たいらしい。
主演が大泉洋という時点でロクな映画ではなさそうだなと感じていたが、実際見てみると笑いあり涙ありの良作だった。
映画鑑賞が終わり、びっくりドンキーで映画の内容について振り返った。
俺と彼女は、いつもこうして観た映画について「ここはこう解釈した」などと語り合うのだ。
今回も彼女は映画の内容について語り始めた。
次に彼女が発した言葉はこうだった。
「大泉洋、ウンチ漏らしちゃったとき、正直声出して笑いそうだった!」と。
俺は幻滅した。
「うんち」ってなんだ。
俺が知ってるのは、「うんこ」だ。
俺は今まで、「うんち」という言葉を発した事は一度もない。
便意を催しても「糞したい」か、少し可愛子ぶっても「うんこしたい」と言っていた。
それ以上の可愛子ぶりは、俺は許すことが出来なかった。
「ごめん、別れよう。俺、『ウンチ』と呼ぶ女とは付き合えない。」と振った。
彼女は泣いた。
「…ごめん。許して…もうご飯中にウンチの話しないから…(グスン」と。
「いや、そうじゃねえ。飯の途中にウンコの話をしたことじゃねえ。『ウンコ』のことを『ウンチ』と呼んだのが許せないんだ。すまんな。」
俺は徐々にウンコに見えてきたレギュラーバーグディッシュをそそくさと平らげ、札を置いて店から出た。
楽しいディナーのひとときは、ウンコのせいで台無しになってしまった。

そもそも、ウンコとウンチは何が違うのか。
ネットを調べてみると、「ウンチは肉や魚が消化されて排泄物になったもので、ウンコは野菜や穀物などの排泄物で〜」とか、「ウンコは便秘気味で、ウンチは下痢気味」みたいな、クソどうでもいい話で溢れかえっており、厳密な定義はないそう。
ただ、『ウンコ』よりは『ウンチ』の方が、可愛くてチャーミングな響きをしている。しかし、その響きに乗っかって、それを発した女が可愛くチャーミングになる訳ではない。
貴様がウンコについて触れた以上、話題的にはかなり汚い。
それをいくらチャーミングにしたところで、所詮ウンチはウンコでしかない。
だったらもう開き直って、『ウンコ』と言って貰いたい。
生放送中に『おせち◯こ』とキレのある声で言い放った和田アキ子を見習って欲しい。
ところで、
「皇室の人はウンコしたいとき、何て言うんだろう?」
と、ふと不思議に思った。
俺みたいなハイパー下品のクソ野郎が、秋篠宮家の誰かに向かって
「さーせん、ウンコしたいっす」
と言えば、間違いなくぶん殴られるし、粛清まであり得るだろう。
万が一俺が佳子様と交際するときに備えて、ウンコが漏れそうな危機迫る状況において、上品な表現ができるよう予め準備しておかなければならない。
まず、『ウンコ』については、『ウンコ』でも『ウンチ』でもダメだろう。
ネットを調べると、『御糞様(みぐそさま)』と出てきた。
これで最も下品な言葉である『ウンコ』の上品な表現方法を習得したので最難関は越えたに違いない。
あとはそれに一般的な敬語を付け足すだけである。
…なんということでしょう…
「やべぇ、ウンコ漏れそう。便所貸してくんね?」
「先生、トイレ!」
とかを言っていた小僧が、
「我の菊門から御糞様がお見えになりそうですので、誠に恐れ入りますが御手洗いを拝借させていただけないでしょうか?」
と言えるようになったのではありませんか。
皆さんも、大切な恋人を失わないためにも、言葉遣いには気をつけましょう。
マイケルジャクソンの声でYOASOBIを歌いたい
教習中、女子生徒から
「マイケルジャクソンは去勢したから声が高いんですか?」
と、何の脈絡もなく聞かれた。
相当マイケルジャクソンの股間に興味があったのだろう。
俺は真摯に答えた。
「分かんねえ」
と。
確かに、去勢することで男性ホルモンの分泌が抑制されて声が高くなるという話は聞いたことがあるが、俺はマイケルのマイケルJr.を見たこともないし、マイケルの2つの玉(以下、"ジャクソンファミリー")もあるかどうかを知らない。
そこで会話を終わらせると、突然マイケルジャクソンの股間にあるジャクソンファミリーの話をした女子生徒が可哀想になると感じ、俺は咄嗟にフォローの言葉を発した。
「…でも、カラオケでも高音が出せるなら、俺も去勢しようかな…」
と。
(かつてはウィーン少年合唱団並みの高音で一斉を風靡した俺も、中学で声変わりをし、『千の風になって』しか歌えない声になってしまったことに劣等感を抱いていた。)
俺が去勢すれば、昔の声に戻れるかもしれない。
それだけではない。
もしかしたら、『ジャパニーズ・マイケルジャクソン』にもなれるかもしれない。
仕事終わりの夜8時のスーパーでは、ムーンウォークをしながら売れ残ったお惣菜を手に取って、レジではスムーズクリミナルのような直立したまま前屈みになり、お金を払う時には「…ポゥ!」と声高に叫ぶことになるだろう。あまりにスリラー過ぎるので、周囲の人もビートイットするに違いない。

マイケルジャクソンの声になれば、女性でもなかなか出ないYOASOBIを原キーで歌えるだろうし、ズボンの裾から白いソックスが見えても馬鹿にされることがなくなるし、俺が去勢するメリットは計り知れない。
しかし、そのメリットを享受するにはデメリットが大き過ぎることに俺は気づいた。
それは、去勢によりマイケルジャクソンの声になってYOASOBIを原キーで歌えるようになったところで、去勢してるが故に俺は死ぬまでYOASOBIは出来なくなるし、夜に駆けることも出来なくなるからである。
YOASOBIを歌えなくていいから、俺の股間の"怪物"を切り落とさずにYOASOBIをし、「もう少しだけ」「もう少しだけ」と言いながらホテル街へと消えて行きたい。
…正気の沙汰じゃないな
僕の在るべき姿とは何だ
本当の僕は何者なんだ
教えてくれよ
教えてくれよ
